哲学者 / 近世西洋

フリードリヒ・シェリング
ドイツ 1775-01-27 ~ 1854-08-20
ドイツ観念論を代表する哲学者(1775-1854)。15歳でテュービンゲン神学校に入学し、ヘーゲル・ヘルダーリンと同室になった早熟の天才。フィヒテとヘーゲルの間に位置し、自然哲学・同一哲学・自由論・神話の哲学・啓示の哲学と思想を絶えず変転させ「プロテウス・シェリング」と呼ばれた。20世紀後半に再発見が進む。
この人から学べること
シェリングの哲学から現代人が引き出せるものの第一は、「自然と精神を分けない」という根本姿勢である。サステナビリティが企業戦略の中心議題となった現代において、自然を単なる資源・外部環境として扱う思考は限界に来ている。彼の自然哲学は、自然を有機体として捉え、人間の精神活動と連続したものとして見る視座を提供する。第二に、悪と自由の関係について。彼は「人間は悪を行う自由を持つからこそ最高の存在である」と論じた。組織のリスク管理は、メンバーから誤った選択肢を排除すれば達成されるものではなく、むしろ誤った選択をしうる自由のなかで正しい選択を選び続けるプロセスの設計こそが本質である。第三に、思想を変転し続けたシェリング自身の生き方。彼は同じ場所に留まらず、自己の哲学を何度も解体・再構築した。現代のキャリア論で言えば「学び直し」「アンラーニング」を生涯にわたり実践した知識労働者の原型である。
心に響く言葉
自然は目に見える精神であり、精神は目に見えない自然である。
Die Natur soll der sichtbare Geist, der Geist die unsichtbare Natur sein.
歴史全体は、絶対者の漸進的かつ徐々に開示される啓示である。
Die Geschichte als Ganzes ist eine fortgehende, allmählich sich enthüllende Offenbarung des Absoluten.
自由を味わった者だけが、すべてを自由の似姿に作り変えたいという渇望を感じることができる。
Nur wer die Freiheit gekostet hat, kann das Verlangen empfinden, ihr alles ähnlich zu machen.
創造に目的があるならば、なぜそれは即座に達成されないのか…。それは、神が生命であって単なる存在ではないからである。
Hat die Schöpfung einen Endzweck, warum ist er nicht gleich erreicht?... Weil Gott Leben und nicht bloß ein Sein ist.
生涯と功績
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・シェリングは、ドイツ観念論を代表する三大哲学者の一人でありながら、その思想が絶えず変転したため評価が難しい人物である。1775年、ヴュルテンベルク公国レーオンベルクの神学者の家に生まれ、十代前半でギリシア語・ラテン語・ヘブライ語を駆使した早熟の天才であった。1790年、規定の入学年齢20歳に対しわずか15歳でテュービンゲン神学校に特例入学を認められ、寮で5歳年上のヘーゲルと詩人ヘルダーリンと同室になった。三人はフランス革命に熱狂し、カントとフィヒテに傾倒し、生涯にわたる知的同志となる。
23歳の若さでイェナ大学員外教授となった彼は、1798年から1803年までイェナでロマン派サークルの中心人物となった。ゲーテ、シュレーゲル兄弟、ノヴァーリス、ティークと交わり、シュレーゲルの妻カロリーネとの関係に発展、後に彼女と結婚した。この時期の彼は「自然哲学」の体系構築に没頭する。「自然は目に見える精神であり、精神は目に見えない自然である」という彼の有名な定式は、機械論的な自然観に対し、自然を有機体として、精神と連続するものとして再把握する試みであった。
1801年から1809年にかけては「同一哲学」の時期。フィヒテが自我から世界を導出するのに対し、シェリングは自然と精神を絶対者の同一性のうちに包摂する一元論的体系を構想した。「自然と精神は量的に異なるが本質において同一である」という主張は、フィヒテとの決裂を招く。1807年にはヘーゲルが『精神現象学』序文でシェリングの直観主義を「すべての牛を黒く塗りつぶす闇夜」と痛烈に批判し、テュービンゲン以来の友情も終焉した。
1809年の『人間的自由の本質』は彼の思想の転換点となる。彼はここで悪を実体的なものとして捉え直し、「人間は悪を行う自由を持つことで他のすべての存在の頂点に立つ」と論じた。神のうちには「神そのもの」と「神のうちの自然(根底)」の対立があり、その対立を愛で克服するのが神の活動である――この神秘主義的な体系は、ヤーコプ・ベーメの影響を強く受けたものであり、ハイデガーが1936年講義で深く読み込んだことでも知られる。
1841年、ベルリン大学はヘーゲル左派の急進化に手を焼き、66歳のシェリングを哲学教授として招聘した。プロイセン政府は彼に「ヘーゲル主義の防壁」となることを期待したが、晩年の『神話の哲学』『啓示の哲学』はかつてのような輝きを失っていた。聴講していたキェルケゴール、エンゲルス、バクーニンはみな失望を表明する。シェリング自身は同時代人にほとんど理解者を得られないまま、1854年、療養先のスイス・バート・ラガーツで79歳の生涯を終えた。
本格的な再評価は20世紀後半まで待たねばならなかった。1954年の没後百周年を境に、ヤスパースが彼を実存主義の先駆者として位置づけ、ハバーマスの博士論文の主題ともなり、メルロ=ポンティが晩年の『自然講義』(1956-58)で彼の自然哲学を再発見した。「無意識」という概念を哲学に最初に導入したのも彼であり、フロイト精神分析の遠い源流でもある。1970年代以降は環境哲学・自己組織化理論からも参照され、近年ではジジェクのラカン派精神分析が中期『世界諸世代』を再読することで、思想史上の隠された巨人としての位置が確立されつつある。同時代人にほとんど理解者を得られなかった哲学者が、二世紀を経てその真価を問い直されている事例として、シェリングは哲学史において稀有な軌跡を描いている。
専門家としての評価
ドイツ観念論史におけるシェリングは、フィヒテとヘーゲルを繋ぐ中間項として教科書では描かれてきたが、20世紀後半以降、独立した哲学者としての再評価が急速に進んでいる。とりわけ自然哲学・自由論・後期の神話と啓示の哲学は、ハイデガーの存在論、メルロ=ポンティの自然ontology、ジジェク・ラカン派精神分析、現代環境哲学から繰り返し参照される。「無意識」概念の哲学的導入者でもあり、フロイト精神分析の遠い源流に位置する。