哲学者 / 現代西洋

アンリ・ベルクソン
フランス 1859-10-18 ~ 1941-01-04
20世紀前半フランスを代表する哲学者(1859-1941)。「純粋持続」「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」「直観」を中心概念に、機械論的時間観と決定論的進化論を批判する独自の生命の哲学を構築した。1927年にフランス哲学者として初のノーベル文学賞を受賞し、国際連盟知的協力委員会の初代委員長も務めた。
この人から学べること
ベルクソンから現代人が学ぶ第一は「時間の質的経験を尊ぶ姿勢」である。スマホ通知に分断された生活で、時計時間に追われる感覚と純粋持続のなかに身を置く感覚は決定的に違う。フロー、ディープワーク、マインドフルネスは、ベルクソン的純粋持続の現代的実践と読める。第二に、エラン・ヴィタールの考え方は組織の創造性論として有効である。最適化と効率化が支配する現代企業で、種から種へ飛躍するような非連続的イノベーションを促すには、機械論的KPI管理だけでなく、生命体としての組織が孕む創造的緊張を信じる態度が要る。第三に、彼の「閉じた社会/開かれた社会」の対概念は、コミュニティ設計や組織文化に直結する。家族・部族の論理に閉じる傾向と、見知らぬ他者への愛の飛躍に開かれる傾向、両者のバランスを意識的に設計することが、現代の多様性とイノベーション両立の鍵となる。
心に響く言葉
我々が言う生の飛躍とは、要するに創造への要求である。
L'élan de vie dont nous parlons consiste, en somme, dans une exigence de création.
行動する人間として考え、考える人間として行動せよ。
Penser en homme d'action et agir en homme de pensée.
宇宙は神々を作り出す機械である。
L'univers est une machine à faire des dieux.
存在することは変化することであり、変化することは熟成することであり、熟成することは限りなく自己を創造し続けることである。
Exister consiste à changer, changer à se mûrir, se mûrir à se créer indéfiniment soi-même.
生涯と功績
アンリ=ルイ・ベルクソンは、20世紀前半のフランス哲学を代表する思想家であり、生の哲学(philosophie de la vie)を体系化した哲学者である。1859年パリ生まれ。父は作曲家のミハウ・ベルクソンというポーランド系ユダヤ人、母はイギリス系ユダヤ人。リセ・コンドルセで数学コンクールに優勝し、1878年にパリ高等師範学校(エコール・ノルマル)文学部に入学した。在学中はスペンサーの実証主義に傾倒し、後の政治家ジャン・ジョレスと首席を争う。1881年にアグレガシオン2位で合格。
1888年、ベルクソンは1881年のリセ教師時代からアンジェ、クレルモン=フェランで教えるかたわら学位論文を執筆し、ソルボンヌ大学に学位論文『意識に直接与えられたものについての試論』(英訳『時間と自由意志』)を提出する。本論文の中心概念が「純粋持続(durée pure)」である。時計が刻む均質で空間化された時間とは別に、私たちが内側から経験する質的・連続的な時間の流れがあり、これこそが意識の本性である。空間的に区切られた瞬間の連なりとして時間を捉える知性は、自由意志の問題を機械論的に処理してしまう。彼は分析より「直観(intuition)」を重視し、流動する持続のなかに身を置くことで初めて実在を把握できると論じた。
1896年の『物質と記憶』では失語症研究を手がかりに、心と身体の関係を「純粋持続の緊張と弛緩」のスペクトルで再定式化した。1907年の主著『創造的進化』では、生物進化の根源にある創造的推進力を「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」と命名する。彼によればダーウィン進化論の自然淘汰原理は素朴な功利主義に傾きすぎており、種から種へ飛躍する独特の創造性を捉えられない。1900年からコレージュ・ド・フランス教授に就任し、彼の講義は学生のみならず文学者・芸術家まで集める一大社交イベントとなった。プルースト、ヴァレリー、ベルジャエフらに広く影響を与え、表現主義・モダニズム文学の地下水脈となった。
国際舞台での活動も多彩だった。第一次大戦中にはフランス首相の特使としてアメリカに渡り、ウィルソン大統領を参戦に誘引する任に当たった。1922年からは国際連盟知的協力委員会(ユネスコの源流)の初代委員長を務め、新渡戸稲造、アインシュタイン、マリ・キュリーらと共に国際協調を担う。1927年にノーベル文学賞、1930年にレジオン・ドヌール勲章を受けた。
1932年の最後の主著『道徳と宗教の二源泉』は、エラン・ヴィタールの応用としての社会哲学である。「閉じた社会/開かれた社会」「静的宗教/動的宗教」「愛の飛躍(エラン・ダムール)」という三つの対概念を中心に、人類の道徳と宗教の発展を論じた。晩年は進行性関節リウマチに苦しみ、1941年初頭、ドイツ軍占領下のパリの自宅で脳充血により世を去った。反ユダヤ主義の只中で同胞を見捨てまいとパリに残ったという挿話が伝わる。彼の思想表現の高さは1914年エディンバラ大学のギフォード講義でも示され、1967年にはパンテオンに名が刻まれた。フランス哲学者としては稀な国民的尊敬を生前から受けつつ、最後は質素な生活と痛みのなかで世を去った人物である。葬儀ではポール・ヴァレリーが弔辞を述べ、世代を超えた知的継承を象徴した。仏領アルジェリアのアルベール・カミュも若き日にベルクソンの講義に魅了されたことを生涯の思い出として記している。
専門家としての評価
20世紀フランス哲学におけるベルクソンの位置は、新カント派・現象学・実存主義を貫く独自の生の哲学の頂点である。同時代のドイツ哲学(ディルタイ、ジンメル、フッサール)と並びうる影響力を持ちつつ、文学・芸術への波及がはるかに大きく、プルースト、ヴァレリー、テイヤール・ド・シャルダン、後にはドゥルーズの著作にまで及び、20世紀フランス現代思想の一つの分水嶺をなす独立峰となっており、いまも読み返される存在である。