哲学者 / 現代西洋

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン

アメリカ合衆国 1908-06-25 ~ 2000-12-25

20世紀後半の分析哲学を主導したアメリカの論理学者・哲学者(1908-2000)。「経験主義の二つのドグマ」で分析・総合の区別を解体し論理実証主義を退却に追い込んだ。ハーバードのエドガー・パース教授を22年務め、「ガヴァガイ」の翻訳不確定性、確証ホーリズム、自然化された認識論など現代哲学の主要論点の多くは彼の論文から派生したと言ってよい。

この人から学べること

クワインから現代の意思決定者が学ぶべき第一は「ホーリズム」である。プロダクトの売上が落ちたとき、原因は単一の要因ではなく、価格・UI・市場・季節・組織文化の総体的網に分散している。一つの仮説を反証しても他のどこかを修正すれば理論は守れる、という事態は科学だけでなく経営にも当てはまる。だからこそ「どこを切るか」の意思決定は、データと信念の体系全体を見渡す視野を要する。第二に、彼の自然主義は「哲学的問いも科学的方法で扱える」という姿勢である。複雑なビジネス問題に直面したとき、定義論争に時間を費やすより、観察可能な振る舞いとデータに基づいて仮説を構築する方が生産的である。第三に、翻訳の不確定性が示す教訓は、グローバルチームでの「合意の脆さ」だ。同じ単語でも文化的・組織的文脈で指示する対象がずれる。海外パートナーとの協業でずれを生むのは語学力ではなく、観察と推論の総体の差であると気付くこと。

心に響く言葉

生涯と功績

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインは、20世紀後半の英米分析哲学を方法論的に決定づけたアメリカの論理学者・哲学者である。1908年、オハイオ州アクロンの工場経営者の家庭に生まれ、9歳頃に無神論者となりその立場を生涯保ち続けた。1930年オーバリン大学を最優秀で卒業し、ハーバード大学院でホワイトヘッドの指導を受け、1932年に博士号を取得した。

ハーバードのジュニア・フェローに任ぜられた4年のあいだ、彼はヨーロッパを遊学する。プラハではルドルフ・カルナップに出会い、後に「私の唯一の真の師」と呼ぶ深い影響を受けた。ワルシャワではタルスキやレシニェフスキら東欧の論理学者と交流した。1939年、彼はタルスキを米国の科学統一会議に招き、ナチス侵攻の直前ポーランドから脱出させた。これによりタルスキは戦後44年間アメリカで仕事を続けることになる。第二次大戦中、クワイン自身は海軍諜報部でドイツ潜水艦の暗号解読に従事し少佐まで昇進した。仏・西・葡・独・伊の各言語で講義ができる稀有な多言語使用者でもあった。

戦後ハーバードに戻り、1956年から1978年まで同大学エドガー・パース哲学教授を務めた。教え子にはデイヴィッド・ルイス、ダニエル・デネット、ギルバート・ハーマン、鶴見俊輔など、戦後の英米哲学を牽引する世代が並ぶ。彼の決定的論文「経験主義の二つのドグマ」(1951)は論理実証主義の根幹を成していた二つの教義を批判した。第一の教義は意味のみで真である「分析命題」と事実に依存する「総合命題」が厳密に区別できるとする立場、第二は各命題が単独で経験によって検証されるとする還元主義的経験主義である。クワインによれば、同義性の概念は循環的にしか定義できず、命題は単独でなく信念体系全体として経験の法廷に立つ。これが彼のホーリズムであり、後にデュエム=クワインのテーゼと呼ばれる科学哲学の中心命題となる。デュエムが物理学に限定したのと違い、クワインは人間の知識全体を一枚の網と見て、経験的根拠の前ではどの命題も改訂対象になりうると考え、論理法則すら例外ではないと示唆した。

1960年の主著『ことばと対象』では、未知の言語を観察行動のみから翻訳しようとするフィールド言語学者の場面が描かれる。原住民が「ガヴァガイ」と発するとき、それが「兎」「兎の時間的局面」「未分割の兎部分」のいずれを指すのか、観察を重ねても確定できない。意味と存在論は理論依存的で究極的には相対的である。さらに彼は伝統的認識論を放棄し、認識を心理学・神経科学と連続的に研究する「自然化された認識論」を提唱する。哲学は科学の上位審級ではなく、その内部で営まれる抽象的探究であるというのが彼の核心信念だった。1948年論文「あるところのものについて」での「存在するとは変項の値であるということだ」という名言は、論理実証主義以後の存在論の合言葉となり、何が存在するかは理論にどの量化変項を引き受けさせるかで決まる、という存在論的コミットメントの考え方を打ち出した。これは現代の数理哲学・形而上学の出発点を画している。1993年ショック賞、1996年京都賞受賞。晩年はアルツハイマー病を「自分の病名がアルチュセールかアルツハイマーか覚えていないが、思い出せないのだからアルツハイマーに違いない」と諧謔し、自身の哲学的厳密さを最後まで失わなかった。

専門家としての評価

20世紀分析哲学史におけるクワインの位置は、論理実証主義の終焉とポスト実証主義の開幕を画する分水嶺である。「経験主義の二つのドグマ」以降、分析哲学は「言語の論理分析による哲学的問題の解消」というカルナップ的プログラムから「自然主義的・全体論的な信念体系の研究」へと舵を切った。ホーリズムや翻訳の不確定性は科学哲学・言語哲学・認知科学に波及し、彼の弟子からダヴィッドソン、ルイス、デネットらが派生した点でも、現代英米哲学はクワインを源流とする扇形をなす。

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人物相関

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よくある質問

ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインとは?
20世紀後半の分析哲学を主導したアメリカの論理学者・哲学者(1908-2000)。「経験主義の二つのドグマ」で分析・総合の区別を解体し論理実証主義を退却に追い込んだ。ハーバードのエドガー・パース教授を22年務め、「ガヴァガイ」の翻訳不確定性、確証ホーリズム、自然化された認識論など現代哲学の主要論点の多くは彼の論文から派生したと言ってよい。
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインの有名な名言は?
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインの代表的な名言として、次の言葉があります:"存在するとは、変項の値であるということだ。"
ウィラード・ヴァン・オーマン・クワインから何を学べるか?
クワインから現代の意思決定者が学ぶべき第一は「ホーリズム」である。プロダクトの売上が落ちたとき、原因は単一の要因ではなく、価格・UI・市場・季節・組織文化の総体的網に分散している。一つの仮説を反証しても他のどこかを修正すれば理論は守れる、という事態は科学だけでなく経営にも当てはまる。だからこそ「どこを切るか」の意思決定は、データと信念の体系全体を見渡す視野を要する。第二に、彼の自然主義は「哲学的問いも科学的方法で扱える」という姿勢である。複雑なビジネス問題に直面したとき、定義論争に時間を費やすより、観察可能な振る舞いとデータに基づいて仮説を構築する方が生産的である。第三に、翻訳の不確定性が示す教訓は、グローバルチームでの「合意の脆さ」だ。同じ単語でも文化的・組織的文脈で指示する対象がずれる。海外パートナーとの協業でずれを生むのは語学力ではなく、観察と推論の総体の差であると気付くこと。