政治家 / us_president

ロナルド・レーガン

ロナルド・レーガン

アメリカ合衆国 1911-02-06 ~ 2004-06-05

第40代アメリカ合衆国大統領(1911-2004)。ハリウッド俳優からカリフォルニア州知事を経て1981年に69歳で大統領就任、再選後8年の任期を全うした。レーガノミクスによる大型減税と軍拡で経済を立て直す一方で双子の赤字を残し、ソ連を「悪の帝国」と呼びつつ最後はゴルバチョフと核軍縮を進めた、冷戦終結の象徴的指導者である。

この人から学べること

レーガンから現代のリーダーが学ぶ第一は、「グレート・コミュニケーター」と呼ばれた所以である、複雑な政策を「丘の上の輝く街」「悪の帝国」「政府こそが問題だ」といった単純で記憶に残るフレームで語る力である。経営者や政治家が世論やステークホルダーを動かす際、抽象論ではなくイメージで語る重要性を彼ほど鮮やかに体現した指導者は稀である。第二は「強硬な原則と柔軟な実行」の両立で、ソ連を「悪の帝国」と公然と非難しつつ、ゴルバチョフ書記長就任後は個人外交で核軍縮に転じた姿勢は、強い立場を維持しつつ機会を逃さない交渉の古典例である。ただし陰の側面も忘れてはならない。彼が始めた減税優先・規制緩和の路線は連邦債務を3倍に膨らませ、現代に続く経済格差の起点となった。エイズ流行への対応遅延、中南米独裁政権支援、PATCO組合解体は「強さ」と「冷たさ」が紙一重であることを示す。

心に響く言葉

生涯と功績

ロナルド・ウィルソン・レーガンは1911年2月6日、イリノイ州タンピコのアパートで生まれた。父ジャックはアルコール依存の靴店店員、母ネルはディサイプル教会の信徒で、貧しいが信仰篤い家庭で育った。1932年にユーリカ大学を経済学・社会学で卒業、アイオワ州デモインのラジオ局WHOでシカゴ・カブスのアナウンサーとして頭角を現した。電報受信機の試合経過だけを頼りに想像力で実況する独特の話術は、後年の演説スタイルの原点となる。

1937年にワーナー・ブラザースと契約してハリウッド入りし、53本の映画に出演した。1940年『ヌート・ロックニー』でジョージ・ギップ役を演じ「ギッパー」のあだ名を獲得、1942年『キングス・ロウ』で代表作を残す。第二次大戦中は近視のため後方任務に回り、陸軍航空軍で訓練映画400本以上を製作した。1947-52年と1959-60年の二度、映画俳優組合(SAG)委員長を務め、ハリウッドの赤狩りでFBIに情報協力した経歴も持つ。

政治的にはF・D・ルーズベルトを「真の英雄」と崇めるニューディール・デモクラットとして出発したが、1950年代を通じて右傾化し、1962年に共和党員となる。1964年大統領選で行ったゴールドウォーター支援演説「選択の時」が全米保守派の新星として躍り出るきっかけとなった。1966年カリフォルニア州知事選で現職を破り二期、減税・福祉改革・バークレー学生運動鎮圧を行った。1968年と1976年の予備選で連敗後、1980年大統領選でカーターを地滑り的大差で破り、69歳349日と当時史上最高齢で就任した。

第一期の「レーガノミクス」は供給側経済学に基づき1981年経済再建租税法で大幅減税、規制緩和、軍拡を同時に推進した。1981年8月にはストライキ中の航空管制官1万1千人余を解雇しPATCO組合を解体、米国の労使関係を一変させた。一方で公約に反して任期中に11回も増税を行い、連邦債務は3倍に拡大、彼自身が「最大の失望」と回想録に記した。トリクルダウン仮説には経済格差拡大という負の帰結も伴った。1981年3月のヒンクリーによる銃撃で重傷を負ったが、手術直前に「諸君がみな共和党員だといいんだがね」と冗談を飛ばし、約10日で退院して国民の支持を集めた。

外交ではデタントを否定し、ソ連を「悪の帝国」と呼んで軍拡を加速、戦略防衛構想(SDI)を推進した。1983年グレナダ侵攻を命じ、レバノン平和維持軍は同年10月の自爆攻撃で海兵隊員241人を喪った後に撤退させた。1986年発覚のイラン・コントラ事件では議会承認を経ずイランへ武器を秘密売却し収益をニカラグアの反政府ゲリラに流用する二重の違法が露見、タワー委員会に「事件の前提条件を作った」と批判されたが「テフロン大統領」の異名通り影響は限定的だった。エイズ流行への対応の遅れ、中南米独裁政権支援は人権面の影として残る。

1985年のゴルバチョフ書記長就任後は強硬路線を転換し、ジュネーブ・レイキャビク・ワシントン・モスクワで4度の首脳会談を重ねた。1987年6月12日ベルリンの壁前で「ゴルバチョフ氏よ、この壁を取り壊しなさい」と要求、同年12月にINF全廃条約に署名し、中距離核戦力の全廃という冷戦史上初の本格的核軍縮を実現した。1989年に高い支持率のまま退任、1994年にアルツハイマー病を公表し、2004年6月93歳で死去した。新自由主義と政治の極化を加速させた人物として今も評価が割れる、20世紀後半のアメリカを最も色濃く規定した大統領である。

専門家としての評価

20世紀後半のアメリカ大統領史において、レーガンは「冷戦終結の象徴」と「新自由主義の起源」という二重の遺産で比較対象を持たない。俳優出身の経歴を逆手にとり、テレビ時代の演説技術を頂点まで磨いた最初の大統領であり、彼以降の共和党は彼の政策原型(減税・規制緩和・反ソ強硬・社会保守)を不可侵の正典として継承している。功はソ連崩壊への寄与とINF条約、罪は双子の赤字とイラン・コントラ事件、人権弱者への鈍感さで、評価は今も大きく割れる指導者である。

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よくある質問

ロナルド・レーガンとは?
第40代アメリカ合衆国大統領(1911-2004)。ハリウッド俳優からカリフォルニア州知事を経て1981年に69歳で大統領就任、再選後8年の任期を全うした。レーガノミクスによる大型減税と軍拡で経済を立て直す一方で双子の赤字を残し、ソ連を「悪の帝国」と呼びつつ最後はゴルバチョフと核軍縮を進めた、冷戦終結の象徴的指導者である。
ロナルド・レーガンの有名な名言は?
ロナルド・レーガンの代表的な名言として、次の言葉があります:"今のこの危機において、政府は我々の問題の解決策ではない。政府こそが問題なのだ。"
ロナルド・レーガンから何を学べるか?
レーガンから現代のリーダーが学ぶ第一は、「グレート・コミュニケーター」と呼ばれた所以である、複雑な政策を「丘の上の輝く街」「悪の帝国」「政府こそが問題だ」といった単純で記憶に残るフレームで語る力である。経営者や政治家が世論やステークホルダーを動かす際、抽象論ではなくイメージで語る重要性を彼ほど鮮やかに体現した指導者は稀である。第二は「強硬な原則と柔軟な実行」の両立で、ソ連を「悪の帝国」と公然と非難しつつ、ゴルバチョフ書記長就任後は個人外交で核軍縮に転じた姿勢は、強い立場を維持しつつ機会を逃さない交渉の古典例である。ただし陰の側面も忘れてはならない。彼が始めた減税優先・規制緩和の路線は連邦債務を3倍に膨らませ、現代に続く経済格差の起点となった。エイズ流行への対応遅延、中南米独裁政権支援、PATCO組合解体は「強さ」と「冷たさ」が紙一重であることを示す。