政治家 / us_president

ウッドロウ・ウィルソン
アメリカ合衆国 1856-12-28 ~ 1924-02-03
アメリカ合衆国第28代大統領(1856-1924)。Ph.D.で大統領になった唯一の人物。14ヶ条平和原則と国際連盟構想で1919年ノーベル平和賞を受賞し、連邦準備制度・近代所得税・反トラスト法を導入した進歩主義の主翼。一方で連邦政府内に人種隔離を体系的に再導入し、戦時言論統制を主導した。1919年に脳梗塞で倒れ、妻イーディスが事実上政務を代行した最初の大統領でもある。
この人から学べること
ウィルソンの遺産は現代のリーダーに三つの教訓を残す。第一に「制度を建てる人物の影響は世紀を超える」こと。連邦準備制度・近代所得税・反トラスト規制という1期目の遺産は今も米国の中枢である。第二に「公開原則」の力。十四か条第1条の秘密外交廃止は、現代のオープンソース・透明性報告の思想的祖型となった。第三、そして最も重い教訓は「進歩と差別の同時並走」である。彼は累進課税・労働者保護を支持する進歩主義者であると同時に、連邦政府に人種隔離を体系的に再導入した。ESGの一部だけ高い状態で前進していないか、自身の盲点を定期的に検査する規律が問われる。
心に響く言葉
世界は民主主義のために安全な場所とされねばならない。
The world must be made safe for democracy.
公開された講和協定を公開の場で取り決めること。今後いかなる種類の秘密外交も存在せず、外交は常に率直に、公衆の眼前で進められるものとする。
Open covenants of peace, openly arrived at, after which there shall be no private international understandings of any kind but diplomacy shall proceed always frankly and in the public view.
大国・小国を問わず政治的独立と領土的保全を相互に保証する目的をもって、特定の規約のもとに国家の総合的連合が形成されねばならない。
A general association of nations must be formed under specific covenants for the purpose of affording mutual guarantees of political independence and territorial integrity to great and small states alike.
我々はドイツの偉大さに嫉妬しておらず、この計画の中にそれを損なうものは何もない。我々はドイツを傷つけたり、その正当な影響力や力を阻んだりすることを望まない。
We have no jealousy of German greatness, and there is nothing in this program that impairs it. We do not wish to injure her or to block in any way her legitimate influence or power.
戦うにはあまりに誇り高すぎる、ということがあり得るのだ。
There is such a thing as a man being too proud to fight.
生涯と功績
トーマス・ウッドロウ・ウィルソンは1856年12月28日、バージニア州スタントンの長老派牧師の家庭に生まれた。南北戦争中の3歳の時、ジョージア州オーガスタの庭でリンカーン当選と戦争勃発を聞いた記憶を生涯持ち続け、生涯にわたって南部連合への文化的同情を保持した。1879年プリンストン卒、バージニア大学法科で1年、その後体調を崩して中退し、ジョンズ・ホプキンス大学で歴史学と政治学を学んだ。1886年に博士号を取得し、米国大統領としては唯一のPh.D.保有者となった。博士論文『議会政府論』は『フェデラリスト』以来の合衆国憲法批判書として評価された。1887年の論文『行政の研究』では政治と行政の分離を提唱し、米国行政学の創始者として今も位置付けられる。
ブリンマー大学、ウェズリアン大学を経て1890年プリンストン大学教授、1902年に同大学長に満場一致で選出された。プリンストン改革では少人数チューター制度導入を主導したが、大学院寮対立で挫折、政界転身の契機となった。1910年ニュージャージー州知事選で勝利、累進的改革で全国的注目を集めた。1912年大統領選では共和党がルーズベルトとタフトに分裂したため、ウィルソンは「ニュー・フリーダム」を掲げて勝利、1848年以来初の南部出身大統領となった。
1期目の業績は構造改革の集中砲火だった。1913年関税法で大幅減税と近代連邦所得税を導入、連邦準備法で米国中央銀行制度を確立、クレイトン反トラスト法と連邦取引委員会法で独占企業規制を強化、農業信用法で農民への低利融資制度を整備した。同時に連邦官僚機構内の人種隔離を体系的に再導入し、財務省・郵政省・海軍省で黒人職員はトイレ・食堂・職場を白人と分離され、上級職から大量に解任された。南北戦争後の人種統合からの大幅な後退であり、彼の進歩主義の致命的な影として歴史的評価の中軸を形成している。
第一次世界大戦勃発時(1914)に中立を宣言、1916年選挙では「彼は我々を戦争に巻き込まなかった」のスローガンで再選した。しかし1917年4月、ドイツの無制限潜水艦作戦とツィンメルマン電報事件を受けて議会に対独宣戦布告を要請、米軍を欧州大戦に投入した。戦時下では1917年スパイ防止法と1918年治安法で反戦言論を犯罪化し、社会党のユージン・デブズらが投獄された。1918年1月8日の議会演説で発表した「十四か条の平和原則」は、民族自決・公海航行の自由・軍縮・国際連盟設立を提唱し、レーニンの『平和に関する布告』に対する自由主義側の戦後構想となった。
1918年11月の連合国勝利後、ウィルソンは在職中ヨーロッパを訪問した最初の大統領としてパリ講和会議に乗り込んだ。クレマンソー、ロイド・ジョージとの「三巨頭」で国際連盟規約をヴェルサイユ条約に組み込んだ。一方、日本提案の人種差別撤廃案は委員会で11対5の賛成多数を得たが、ウィルソンは議長権限で「全会一致でない」として否決した。1919年のノーベル平和賞は連盟創設への功績である。しかし米上院は連盟規約第10条がモンロー主義に抵触するとして共和党が反対、ウィルソンが留保付き批准を拒否した結果、米国は自ら創設した国際連盟に加盟しないという皮肉な結末となった。
1919年10月2日、ホワイトハウスで脳梗塞を発症し左半身不随となった。主治医と妻イーディスはこの事実を隠匿し、以後の国政決裁は彼女が大統領名で行った。憲政史上前例のない事態であり、後の憲法修正第25条制定の伏線となった。1924年2月3日、67歳で自宅で死去、ワシントン大聖堂に埋葬された唯一の大統領である。「ウィルソン主義」は第二次大戦後の国連、冷戦期の自由世界陣営、ポスト冷戦の民主化支援まで米外交の基底となった。一方2020年プリンストン大学は人種差別を理由に公共政策大学院から彼の名を外し、歴史的再評価は今も進行中である。
専門家としての評価
ウィルソンは大学長・政治学者から大統領に至った稀有な経歴を持ち、行政学・国際政治学・米国政治史の3分野に学術的痕跡を残した。十四か条の平和原則と国際連盟構想は、第二次大戦後の国連、冷戦後の民主化支援、現代のリベラル国際秩序論の理論的源泉となり、彼の「ウィルソン主義」は米国外交の最も影響力ある思想潮流の一つである。一方で連邦政府人種隔離の再導入、戦時言論統制、人種差別撤廃案の否決は、彼の進歩主義がいかに白人男性に限定された範疇内のものだったかを示し、2020年のプリンストン大学による名前削除に象徴される歴史的再評価が今も進行中である。