政治家 / us_president

ジェームズ・マディスン

ジェームズ・マディスン

アメリカ合衆国 1751-03-16 ~ 1836-06-28

アメリカ合衆国第4代大統領(1751-1836)。「合衆国憲法の父」「権利章典の父」と呼ばれ、1787年フィラデルフィア憲法制定会議でバージニア・プランを起草、フェデラリスト・ペーパーズ全85編のうち29編を執筆して三権分立と抑制と均衡の理論を世界に提示した。一方、米英戦争(1812)で首都ワシントンを焼き払われ、生涯100人以上の奴隷を所有しながら一人も遺言で解放しなかった。

この人から学べること

マディソンの最大の現代的遺産は「設計としての抑制と均衡」である。フェデラリスト No.51 の核心は、人間を聖人化することではなく、不完全な人間が運営する制度を相互チェックで自動修正させる仕掛けにすること。現代の取締役会・監査制度・通報制度の理論的祖型である。No.10 の派閥論は、利害集団を抑制するのではなく競合させて相殺させる思想で、マトリクス組織や競争的予算配分に応用できる。当初反対した権利章典を最終的に自ら起草した彼の柔軟性は、理論を現実に合わせて撤回できる「知的誠実さ」の教科書である。SNS時代の「一貫性原理主義」とは正反対の、本物の政治家の徳と言える。

心に響く言葉

もし人間が天使であれば、政府は不要であろう。もし天使が人間を統治するのであれば、政府への外的・内的統制も不要であろう。

If men were angels, no government would be necessary. If angels were to govern men, neither external nor internal controls on government would be necessary.

立法・行政・司法のすべての権力を同一の手に集中させること──それが一人であれ少数であれ多数であれ、世襲であれ自任であれ選挙であれ──まさにそれを専制の定義と呼んで差し支えない。

The accumulation of all powers, legislative, executive, and judiciary, in the same hands, whether of one, a few, or many, and whether hereditary, self-appointed, or elective, may justly be pronounced the very definition of tyranny.

知識は常に無知を支配するであろう。自らを自ら統治しようとする人民は、知識が与える力で武装せねばならない。

Knowledge will forever govern ignorance: And a people who mean to be their own Governors, must arm themselves with the power which knowledge gives.

知識の進歩と普及こそ、真の自由の唯一の守護者である。

The advancement and diffusion of knowledge is the only guardian of true liberty.

外部の危険に対する防衛手段は、常に国内における専制の道具となってきた。

The means of defence against foreign danger have been always the instruments of tyranny at home.

生涯と功績

ジェームズ・マディソンは1751年3月16日、バージニア植民地キング・ジョージ郡で12人兄弟の長男として生まれた。父ジェームズ・シニアはオレンジ郡で5000エーカー、約100人の奴隷を所有する大農園主だった。マディソン自身は身長163cm、体重45kgで、歴代米大統領の中で最も小柄な人物として知られる。1769年にプリンストン大学(当時はニュージャージー大学)に入学、学長ジョン・ウィザースプーンの下で啓蒙思想と政治哲学を学び、3年制の学士課程を2年で修了した。卒業後はモントピリアに戻り法律書と古代共和国の研究に没頭、生涯にわたって発作的な体調不良(現代の理解ではてんかんの可能性が指摘される)に悩まされながらも知的鍛錬を続けた。

独立戦争中はバージニア邦議会議員として、トーマス・ジェファーソンと共にバージニア信教の自由法の成立に尽力した。1780年から大陸会議の代議員となり、議会の連衡形成の達人と評された。1787年のフィラデルフィア憲法制定会議では彼が事前に起草したバージニア・プランが審議の出発点となり、議会記録を最も詳細に取った彼自身の『Notes of Debates』は今日も憲法解釈の一次資料である。批准戦ではアレクサンダー・ハミルトン、ジョン・ジェイと組んで匿名筆名Publiusの下に『ザ・フェデラリスト』全85編を発表、マディソンは29編(うち最重要なNo.10とNo.51を含む)を執筆した。No.10は派閥(faction)の害を大規模共和国によって相殺する理論を提示し、20世紀政治学における多元主義の基礎となった。No.51は「もし人間が天使であれば、政府は必要ない」という一節とともに、抑制と均衡(checks and balances)の原理を完成させた。

第1議会下院議員として彼は権利章典の起草を主導した。当初は否定的だったが、反連邦党の批准条件として12の修正条項を提案、最終的に1791年に10条が批准された。1790年代に入るとハミルトンの第一合衆国銀行と連邦党路線に反対、ジェファーソンと共に民主共和党を結成。1798年の外国人・治安諸法に対しては、ジェファーソンと共に匿名で『バージニア・ケンタッキー決議』を起草、州権擁護の理論的支柱となった。

ジェファーソン政権下では国務長官として(1801-1809)、1803年のルイジアナ買収と同年のマーベリー対マディソン事件で歴史に名を刻んだ。後者はジョン・マーシャル長官が違憲審査制を確立した記念碑的判決である。1808年に大統領に当選すると、対英関係悪化の中で1812年6月、議会に対英宣戦布告を要請した。合衆国史上初の正式宣戦布告である。

しかし米英戦争は屈辱の連続となった。1814年8月、英軍がチェサピーク湾岸に上陸、ブレーデンスバーグの戦いで米軍を粉砕し、首都ワシントンに進撃して連邦議会議事堂とホワイトハウスを焼き払った。マディソンは寸前でバージニアに逃れ、ファースト・レディのドリーがジョージ・ワシントンの肖像画を救出した逸話は米国史に残る。同年12月のガン条約で戦争は引き分けに終わったが、1815年1月ニューオーリンズの戦いでアンドリュー・ジャクソンが勝利し、世論は「第二の独立戦争」を勝利と認識した。戦後、マディソンは1816年に第二合衆国銀行設立法と関税法に署名し、若き日に反対した連邦党的政策を多く受容した。先住民政策ではテカムセの抵抗運動を戦争で粉砕し、彼の任期中だけで連邦は条約と戦闘で約2600万エーカーの先住民領を取得した。

奴隷制をめぐる彼の遺産は深く矛盾している。私的書簡で「最も抑圧的な支配」と呼びながら、生涯100人以上の奴隷を所有し、遺言で誰一人解放しなかった。アメリカ植民協会会長として解放奴隷のリベリア植民を支持したが、それは漸進的解決の構想だった。1817年に大統領を退いた後はモントピリアで隠棲し、ジェファーソンの死後1826年にバージニア大学の第2学長となり、1836年6月28日に85歳で没した。建国の父最後の生存者だった。彼の最大の遺産は憲法そのものであり、現代米国憲政の語彙のほぼ全てが彼の頭脳から生まれた。

専門家としての評価

マディソンは政治理論家と現役政治家の二役を例外的水準で両立した人物である。フェデラリスト No.10/No.51 における派閥論と抑制と均衡論は、近代政治学の出発点となり、ローレンス・バニング、ゴードン・ウッドら現代の歴史家は彼を「最も影響力ある建国の父」と評する。一方、米英戦争での首都炎上、奴隷制への生涯にわたる依存、先住民領強奪の容認は、彼の制度設計が「誰の自由」のためのものだったかを問い続けるべき課題として残る。憲法と権利章典という制度的遺産の永続性で評価するなら、ワシントン・ジェファーソンを上回る建国の父である。

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よくある質問

ジェームズ・マディスンとは?
アメリカ合衆国第4代大統領(1751-1836)。「合衆国憲法の父」「権利章典の父」と呼ばれ、1787年フィラデルフィア憲法制定会議でバージニア・プランを起草、フェデラリスト・ペーパーズ全85編のうち29編を執筆して三権分立と抑制と均衡の理論を世界に提示した。一方、米英戦争(1812)で首都ワシントンを焼き払われ、生涯100人以上の奴隷を所有しながら一人も遺言で解放しなかった。
ジェームズ・マディスンの有名な名言は?
ジェームズ・マディスンの代表的な名言として、次の言葉があります:"もし人間が天使であれば、政府は不要であろう。もし天使が人間を統治するのであれば、政府への外的・内的統制も不要であろう。"
ジェームズ・マディスンから何を学べるか?
マディソンの最大の現代的遺産は「設計としての抑制と均衡」である。フェデラリスト No.51 の核心は、人間を聖人化することではなく、不完全な人間が運営する制度を相互チェックで自動修正させる仕掛けにすること。現代の取締役会・監査制度・通報制度の理論的祖型である。No.10 の派閥論は、利害集団を抑制するのではなく競合させて相殺させる思想で、マトリクス組織や競争的予算配分に応用できる。当初反対した権利章典を最終的に自ら起草した彼の柔軟性は、理論を現実に合わせて撤回できる「知的誠実さ」の教科書である。SNS時代の「一貫性原理主義」とは正反対の、本物の政治家の徳と言える。