発明家 / computing
Tim Berners-Lee
イギリス 1955-06-08
ティム・バーナーズ=リー(1955年-)は、イギリスの計算機科学者。1989年にWorld Wide Web(WWW)を考案し、HTML、URL、HTTPを設計・実装して、インターネット上の情報を誰でもハイパーテキストで閲覧・共有できる仕組みを創り出した。特許を取得せず無償で公開するという選択により、WWWは爆発的に普及し、21世紀のデジタル経済と社会の基盤インフラとなった。
この人から学べること
バーナーズ=リーのWWW発明は、現代のイノベーターに三つの根本的な教訓を示す。第一に、オープン化の戦略的価値。WWWを特許化せず無償公開したことで、参入障壁がゼロになり、世界中の開発者が自由にWeb上にサービスを構築できた。この「プラットフォームを無償で開放し、エコシステム全体の価値を最大化する」アプローチは、Linuxやオープンソースの基本戦略と同じである。第二に、CERNの内部ツールが世界のインフラになったように、特定の問題を解く技術が普遍的な価値を持つことがある。Slackが社内チャットから始まり、AWSが社内インフラから始まったのと同じ構造である。第三に、発明者の責任。バーナーズ=リーがSolidプロジェクトでデータ主権の問題に取り組み続けている姿勢は、自らの発明がもたらした負の側面にも向き合う発明者の倫理を示している。
心に響く言葉
私が構想したWebは、まだ実現していない。未来は過去よりもはるかに大きい。
The Web as I envisaged it, we have not seen it yet. The future is still so much bigger than the past.
これはみんなのためのものです。
This is for everyone.
生涯と功績
ティム・バーナーズ=リーは、情報を自由にリンクし共有するシステムを設計し、それを人類共有の財産として無償で開放した。その決断がなければ、今日のデジタル経済の大部分は存在しなかった。
1955年、ロンドンで数学者夫妻の子として生まれた。両親はフェランティ・マーク1(最初の商用コンピュータの一つ)の開発に携わっており、コンピューティングは家庭の言語だった。少年時代は鉄道模型に夢中で、電子工作を通じてエレクトロニクスを学んだ。
オックスフォード大学クイーンズ・カレッジで物理学を専攻。在学中にはんだごてとTTLゲート、中古テレビでコンピュータを自作した。1976年の卒業後、プレッセイ社で分散トランザクションシステムやバーコード技術を担当し、その後D・G・ナッシュ社でマルチタスクOSを開発した。
1980年、スイスのCERN(欧州原子核研究機構)にコンサルタントとして着任。数千人の研究者に効率的に情報を共有させるシステムの開発を命じられ、文書間をランダムにリンクできるプログラム「ENQUIRE」を個人的に開発した。これがWWWの概念的基盤となった。
1984年にCERNに復帰し、1989年3月12日、上司マイク・センドールに「情報管理のための提案書」を提出。これがWWWの公式な出発点となった。1990年11月にはロバート・カイリューとともにより具体的な提案書「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」を作成。同年12月、NeXTSTEP上で世界初のWebサーバ(httpd)とWebブラウザ兼HTMLエディタ(WorldWideWeb)を構築した。1990年12月20日、世界最初のWebサイト info.cern.ch が公開された。
1993年4月30日、CERNはWWWの技術を誰に対しても無償で開放することを発表した。バーナーズ=リーはWWWの特許を取得せず、ライセンス料を一切請求しなかった。この決断は個人の莫大な富を放棄するものだったが、WWWの爆発的普及を可能にし、Google、Amazon、Facebookをはじめとするデジタル経済全体の基盤を築いた。
1994年、MITに着任しWorld Wide Web Consortium(W3C)を設立。WWWの標準技術の策定と開放性の維持に尽力した。2004年にはエリザベス2世からナイトの称号を授与され、2016年にはチューリング賞を受賞した。
近年はWeb上の個人データの集中とプライバシーの問題に危機感を抱き、個人がデータの主権を取り戻すためのプロジェクト「Solid」を推進している。WWWを創った人物が、その成果物が生み出した問題の解決にも取り組み続けている点は、発明者の責任のあり方を示す稀有な事例である。
専門家としての評価
発明家の系譜において、バーナーズ=リーは「デジタル文明のインフラを無償で構築した人物」として唯一無二の位置を占める。グーテンベルクの活版印刷が知識の複製コストを激減させたように、WWWは情報の共有コストをほぼゼロにした。しかもバーナーズ=リーは特許を放棄するという前例のない選択をした。蔡倫の紙、グーテンベルクの印刷機に続く「知識の民主化」の系譜において、WWWは第三の大跳躍であり、その開放性は人類史上最大規模のエコシステムを生んだ。