起業家 / 製造業

ヴェルナー・フォン・ジーメンス

ヴェルナー・フォン・ジーメンス

ドイツ国 1816-12-13 ~ 1892-12-06

19世紀ドイツの電気工学者・実業家

シーメンスを設立し電信・電力・鉄道の産業インフラを創造した

中核技術からの多角化はテック企業のプラットフォーム戦略の原型

1816年ドイツ生まれの電気工学者にして実業家。ポインター式電信機の改良で技術者としての名声を確立した後、1847年に兄弟と共にシーメンス・ウント・ハルスケを設立し、電信・電力・鉄道の三分野で産業インフラを創造した。電気式トラム、トロリーバス、電気エレベーターを発明し、自らの発電機が近代電力時代の基盤を築いた。コンダクタンスのSI単位に名を残す。

名言

自然科学に基づく技術は休むことがない。それは人間の生活条件をますます力強く変革し続けるだろう。

Die naturwissenschaftliche Technik wird nicht ruhen, sie wird die Lebensbedingungen der Menschen immer mächtiger umgestalten.

ジーメンスの書簡・講演録として伝わるUnverified

重要なのはある事柄を発明したかどうかではなく、それを実行に移したかどうかである。

Es kommt nicht darauf an, ob man eine Sache erfunden hat, sondern ob man sie durchführt.

ジーメンスの経営信条として社史に記録Unverified

電気工学産業はいつか世界で最も大きく、最も影響力のある産業の一つになるだろう。

Die elektrotechnische Industrie wird einmal zu den größten und einflussreichsten Industrien der Welt gehören.

ジーメンスの予見として伝記類に記載Unverified

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現代への応用

ジーメンスの事業展開は、現代のプラットフォーム型ビジネスの原型として読み解くことができる。第一の示唆は、中核技術からの多角化戦略である。ジーメンスは自励式発電機という一つの中核技術から、鉄道、照明、エレベーター、通信と多方面に事業を展開した。これは現代のテック企業がクラウドインフラやAIという中核技術から複数の事業領域に進出する構造と同じである。第二に、技術標準の確立と業界団体の形成に積極的に関与した点は、現代の標準化戦略に通じる。自社技術を業界標準に組み込むことで、市場全体の成長を自社の成長に結びつけた。第三に、家族ネットワークを活用した国際展開は、現代の海外子会社経営において信頼できる現地マネジメントの重要性を示す先行事例である。スタートアップが海外進出を図る際、現地パートナーの質が事業の成否を分けることは今も変わらない。ジーメンスが「発明と実行は別物だ」と認識していたことは、技術者起業家が陥りやすい落とし穴を回避するための本質的な教訓である。

ジャンルの視点

起業家の類型としてジーメンスは、「インフラ構築型の技術起業家」に分類される。エジソンが消費者向け製品(電球・蓄音機)に注力したのに対し、ジーメンスは電信網・発電所・鉄道という社会インフラの構築を事業の中心に据えた。この戦略は初期投資が巨大だが、一度構築されれば長期安定的な収益基盤となる。同時代のボッシュが自動車部品という特定領域の精密化を追求したのとは対照的に、ジーメンスはインフラ全体のシステム統合を志向した。

プロフィール

ヴェルナー・フォン・ジーメンスは、電気技術を研究室の実験対象から社会インフラへと転換させた人物であり、技術の発明と事業の構築を一人の人間の中で両立させた19世紀ドイツを代表する起業家である。彼が築いたシーメンスは、創業から170年以上を経た現在もグローバル企業として存続しており、その事業構想力の射程の長さを証明している。

1816年、ハノーファー近郊のレンテで14人兄弟の四男として生まれた。家計の事情から大学進学は叶わず、無償で教育を受けられるプロイセン陸軍の砲兵工学学校に入った。この軍事教育が、電気通信技術への入口となった。軍務中に電気めっきや電信技術に関心を抱き、1847年にはポインター式電信機の改良に成功する。同年、精密機器職人のヨハン・ゲオルク・ハルスケと共同でベルリンにジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造会社を設立した。軍人から起業家への転身であった。

会社は設立直後からプロイセン政府の電信線敷設を受注し、ベルリンからフランクフルトまでの長距離回線を手がけた。やがてロシアやインドへの海底・陸上電信網の建設にも携わり、国際的な電気通信インフラ企業としての地位を確立していく。しかしジーメンスの最大の技術的貢献は、1866年に発見した自励式発電機(ダイナモ)の原理にある。それまでの発電機は永久磁石に依存していたが、ジーメンスの方式では機器自体が発電に必要な磁場を生成できるため、大規模な電力供給が初めて実用的になった。この発見は近代電力産業の出発点であり、電気照明、電気鉄道、電気エレベーターなど、その後のあらゆる電化技術の基盤となった。

ジーメンスはこの技術を研究論文にとどめず、直ちに事業化した点で際立っている。1879年にはベルリン産業博覧会で世界初の電気鉄道を走らせて観衆を驚かせ、続いてトロリーバスや電気エレベーターを実用化した。電信から電力へ、さらに輸送インフラへと事業領域を拡張する戦略は、一つの中核技術から複数の応用市場を開拓するプラットフォーム型の事業展開であった。

経営面では、兄弟のネットワークを活用した国際展開が特徴的である。弟カールはロンドンで、弟ヴィルヘルムはロシアのサンクトペテルブルクで事業を展開し、ジーメンス家は欧州全域にまたがる企業グループを形成した。各地で現地の政府や企業と関係を築きながら、技術基準の統一は本社が管理するという手法を採った。この家族経営の国際ネットワークは、19世紀のグローバル企業の先駆的モデルといえる。

また、ジーメンスは技術者の社会的地位向上にも力を注いだ。1879年にはドイツ電気技術者協会の設立に関わり、電気工学を独立した学問分野として確立することに貢献した。帝国物理工学研究所の設立を支援するなど、産業と学術の連携を推進した姿勢は、技術立国ドイツの基盤形成に寄与したと評価されている。

1888年に貴族の称号「フォン」を授与され、エルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンスとなった。1892年にベルリンで没した後も、シーメンス社は電気・通信・エネルギーの複合企業として成長を続けている。軍人から電信技師へ、発明家から国際的な事業家へという転身の連続は、時代の技術的変革の中に事業機会を見出し、それを組織化する能力の証である。ジーメンスは電気の時代を予見しただけでなく、その時代を自らの事業によって現実のものとした起業家であった。