芸術家 / 近代・現代

アンリ・マティス
FR 1869-12-31 ~ 1954-11-03
1869年フランス北部ル・カトー=カンブレジに生まれ、「色彩の魔術師」と称されるフォーヴィスム(野獣派)の創始者。法律家から画家に転身し、純色の大胆な使用と簡潔な形態によって色彩を対象の再現から解放する革命を主導した。代表作『ダンス』『赤い部屋』は色彩の歓びを画面全体に展開し、晩年のジャズ切り紙絵に至るまで「快楽の芸術」を追求し続けた。ピカソと並ぶ20世紀最大の画家の一人。
この人から学べること
マティスの芸術から現代のクリエイターやビジネスパーソンが学べる教訓は多い。第一に「快適な体験の設計」がある。「良い肘掛け椅子のような芸術」という宣言は、ユーザーに安らぎと快適さをもたらすプロダクトやサービスの設計哲学に直結する。第二に「制約からの革新」がある。身体的制約から生まれた切り紙絵が最も革新的な表現となった事実は、リソースの制限がかえって本質への集中を促し革新を生むことを示している。第三に「引き算の力」がある。形態を簡略化し色彩を純化するマティスの方法は、複雑な情報を本質的な要素に還元するデータビジュアライゼーションやUXデザインの基本原理に通じる。
心に響く言葉
私が夢見る芸術とは、均衡と純粋さと静けさの芸術であり、不安な主題のないもの、頭脳労働者にとっての鎮静剤のようなものである。
Ce que je rêve, c'est un art d'équilibre, de pureté, de tranquillité, sans sujet inquiétant ou préoccupant, qui soit, pour tout travailleur cérébral, un lénifiant, un calmant.
私は物を描くのではない。物と物の差異だけを描く。
Je ne peins pas les choses. Je ne peins que les différences entre les choses.
創造性には勇気が必要だ。
La créativité demande du courage.
生涯と功績
アンリ・マティスが20世紀美術史においてピカソと並ぶ最重要の存在である理由は、色彩を対象の忠実な再現から完全に解放し、色そのものの感覚的な力によって空間と感情を構成する方法論を確立した点にある。マティスにとって色彩は対象に従属する要素ではなく、それ自体が自律的な表現力を持つ主役であった。この確信がフォーヴィスムの名のもとに20世紀美術の幕開けを告げた。
1869年12月31日、フランス北部ル・カトー=カンブレジに穀物商の家に生まれた。パリで法律を学び法律事務所で働いていたが、21歳の時に盲腸炎の療養中に母親から絵具箱を贈られたことが転機となった。以後「楽園のようなもの」を発見したと感じ、画家の道に転身した。ギュスターヴ・モローの工房で学び、師から「色彩を単純化する才能がある」と認められた。
1905年のサロン・ドートンヌに出品した作品群が批評家ルイ・ヴォーセルに「野獣(フォーヴ)」と嘲笑され、フォーヴィスム(野獣派)の名称が生まれた。自然の色彩に囚われない純色の大胆な使用、対象の形態の大幅な簡略化、画面全体の装飾的な統一感がその特質である。しかしフォーヴィスムは組織的な運動としては短命であり、マティス自身も1908年頃には次の段階へと移行した。
1908年の論文「画家のノート」でマティスは「私が夢見る芸術とは、均衡と純粋さと静けさの芸術であり、肉体労働者にとっての良い肘掛け椅子のような芸術である」と宣言した。この言葉はマティスの芸術哲学の核心を示しており、苦悩や告発ではなく視覚的な快楽と精神的な安息を芸術の目的とする立場を明確にしている。
1910年代から20年代にかけてニースに拠点を移し、室内に座る女性、窓から見える風景、東洋的な布地や模様を主題とする作品群を制作した。これらの「ニース時代」の作品は、光と色彩の豊かな調和によって地中海的な快楽を表現し、マティスの芸術の最も親しみやすい側面を示している。
マティスの芸術的探究の最終段階は、1940年代後半から始まった切り紙絵(グワッシュ・デクペ)である。加齢と手術の後遺症で長時間の油彩画制作が困難になったマティスは、グワッシュで彩色した紙を鋏で切り抜き、それを構成する手法に到達した。「私は鋏で描く」と語ったこの新技法は、色彩と形態の最も直接的で純粋な統合を実現し、晩年の傑作『ジャズ』と南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂の設計を生み出した。
1954年11月3日、ニースにて84歳で没した。マティスの遺産は色彩の自律性の確立であり、カラーフィールド・ペインティングやミニマリズムなど20世紀後半の多くの芸術運動にその精神が受け継がれている。
マティスは第二次世界大戦中に大腸癌の手術を受けて以降、車椅子生活を余儀なくされた。しかしこの身体的制約が、晩年の切り紙絵という新たな表現手法の発見を促した。助手に彩色した紙をハサミで切り抜かせ、それを組み合わせて構成する「絵を描くかわりにハサミで描く」手法は、色彩と形態の純粋な統合を実現した。南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂は、ステンドグラスから祭服のデザインまでマティスが総合的にデザインした晩年の集大成であり、芸術と宗教の融合の傑作として評価されている。ピカソが形態と構造の革命を主導したとすれば、マティスは色彩と感覚の革命を主導したのであり、二人の対照的な探究が20世紀美術の両輪をなしている。
専門家としての評価
マティスはフォーヴィスムの創始者として色彩を対象の再現から解放し、20世紀美術における色彩の自律性を確立した最重要の画家の一人である。ピカソが形態と構造の革命を主導したのに対し、マティスは色彩と感覚の革命を担い、二人の対照的な探究が20世紀美術の両輪をなしている。晩年の切り紙絵は色彩と形態の最も直接的な統合として、カラーフィールド・ペインティングやミニマリズムに至る抽象美術の展開を予告した。