作家・文学者 / 文豪・作家

与謝野晶子
日本
与謝野晶子は歌集「みだれ髪」で情熱的な恋愛歌を詠み、日本の近代短歌に革命をもたらした歌人・思想家。日露戦争時の反戦詩「君死にたまふことなかれ」でも知られ、11人の子を育てながら旺盛な創作活動と女性解放運動を展開した。情熱と行動力で時代を切り拓く先駆的女性像として輝きを失わない。
この人から学べること
与謝野晶子は「情熱を持って声を上げること」の力を体現した人物である。11人の子育てと膨大な創作を両立させた生き方は、現代のワーキングマザーにとって究極のロールモデルだ。また「君死にたまふことなかれ」に見られる「空気を読まずに正論を述べる勇気」は、同調圧力の強い組織の中で声を上げるリーダーシップの原型と言える。晶子が示した「情熱と理性の両立」は、現代のプロフェッショナルの理想像である。
心に響く言葉
生涯と功績
与謝野晶子(1878-1942)は大阪府堺市の老舗菓子屋の三女として生まれた。本名は鳳志よう。幼少期から文学に親しみ、「明星」に短歌を投稿して与謝野鉄幹と出会う。1901年、歌集「みだれ髪」を刊行。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」に代表される奔放な恋愛歌は、旧来の和歌の世界に衝撃を与えた。
同年、鉄幹と結婚。以後11人の子どもを産み育てながら、生涯にわたって5万首以上の短歌を詠んだ。1904年の「君死にたまふことなかれ」は日露戦争に出征した弟を思って書かれた反戦詩であり、大きな社会的反響を呼んだ。
1912年にパリへ遊学し、西洋文化に直接触れる。帰国後は「新新訳源氏物語」を完成させ、古典文学の現代化にも貢献した。「女子も男子と均等の教育を受けるべし」と訴え、女性解放運動の先駆者としても活動した。
晶子の短歌の特徴は、女性の情念を直截に表現する大胆さと、和歌の伝統的技法を踏まえた格調の高さの両立にある。恋愛歌だけでなく、母性、社会批評、自然詠と幅広い主題を詠みこんだ。
評論活動も旺盛で、「鎌倉より」「愛、理性及び勇気」など女性の自立を論じた随筆を多数発表。平塚らいてうとの「母性保護論争」では経済的自立の重要性を訴えた。1942年、脳出血のため死去。享年63。情熱と知性を兼ね備えた近代日本を代表する女性文学者である。
専門家としての評価
与謝野晶子は近代短歌に女性の情念を解放した革命者であり、詩人・翻訳家・評論家・社会運動家として多方面に活躍した。5万首以上という圧倒的な量と質の両立は日本歌壇において他に例がなく、近代日本の女性文学者として最も影響力のある存在の一人。