投資家 / バリュー投資

ジョン・テンプルトン

ジョン・テンプルトン

アメリカ合衆国 1912-11-29 ~ 2008-07-08

20世紀アメリカのグローバル逆張り投資家

テンプルトン成長株投信で38年間年率15%超を達成した

「割安な市場は常にどこかにある」はグローバル分散の原則

1912年テネシー州の小さな町に生まれ、世界規模の分散投資という概念を切り拓いた先駆者。1954年設立のテンプルトン成長株投信は38年間にわたり年率15%超の成長を達成し、1999年にマネー誌は彼を「今世紀最も偉大なグローバル株式ピッカー」と評した。逆張りの哲学と深い信仰心を併せ持ち、投資と慈善の両面で20世紀の金融史に足跡を残した人物である。

名言

他者が絶望的に売っているときに買い、他者が貪欲に買っているときに売ることは、最大の勇気を必要とし、最終的に最大の報酬をもたらす。

To buy when others are despondently selling and to sell when others are avidly buying requires the greatest fortitude and pays the greatest ultimate rewards.

Templeton Plan: 21 Steps to Success and Real Happiness (1987)Verified

強気相場は悲観の中で生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、陶酔の中で消えていく。

Bull markets are born on pessimism, grow on skepticism, mature on optimism, and die on euphoria.

Unverified

悲観の極みが最良の買い時であり、楽観の極みが最良の売り時である。

The time of maximum pessimism is the best time to buy, and the time of maximum optimism is the best time to sell.

Unverified

群衆より良い成果を得たければ、群衆とは異なることをしなければならない。

If you want to have a better performance than the crowd, you must do things differently from the crowd.

Investing the Templeton Way (Lauren C. Templeton, Scott Phillips, 2008) に引用Unverified

すべての答えを持っている投資家は、問い自体を理解していない。

An investor who has all the answers doesn't even understand the questions.

Unverified

関連書籍

ジョン・テンプルトンの関連書籍をAmazonで探す

現代への応用

テンプルトンの投資哲学が現代の個人投資家に示唆するものは大きい。第一に、グローバル分散の重要性である。NISAやiDeCoで投資を始める日本の個人投資家は、日本株と米国株に偏りがちだが、テンプルトンの実践は「割安な市場は常にどこかに存在する」と教えている。新興国を含む幅広い地域への分散は、特定の国の経済停滞リスクを軽減する基本戦略として今も有効である。第二に、感情に逆らう規律の価値がある。SNSで投資情報が即座に拡散される現代では、恐怖と陶酔のサイクルがかつてより速く回る。コロナショックやリーマン・ショックのような暴落局面で「悲観の極みで買う」勇気を持てるかどうかが長期リターンを左右する。テンプルトンが実践した方法は、あらかじめ暴落時の買い付けルールを決めておくことで感情を排除するというものであった。第三に、富の使い方に対する姿勢である。資産形成の先に社会還元という目的を置いた彼の生き方は、FIREやサイドFIREを志向する現代の投資家にとって、経済的自立の先を考える指針となりうる。

ジャンルの視点

投資家の系譜において、テンプルトンはベンジャミン・グレアムが確立したバリュー投資の原則を国際市場へと拡張した人物として位置づけられる。米国内で割安株を探すという従来のアプローチに対し、彼は世界全体を投資対象とすることで地理的な情報の非対称性を収益機会に変えた。その逆張り哲学はハワード・マークスの「二次的思考」やセス・クラーマンの「安全マージン」と思想的に通底する。また、投資を単なる利殖の手段ではなく精神的・社会的営みとして捉えた点は、ESG投資やインパクト投資の思想的先駆とも評価できる。

プロフィール

ジョン・テンプルトンが投資の歴史において特異な位置を占める理由は、アメリカの投資家が自国市場にしか目を向けなかった時代に、世界を一つの投資市場として捉える視座を持っていた点にある。バリュー投資の原則を地球規模で適用するという発想は、後のグローバル分散投資の礎となった。

テネシー州ウィンチェスターという人口わずか数千人の町で1912年に生まれた。大恐慌のさなかにエール大学に進学し、奨学金とポーカーの賞金で学費を工面したと伝えられる。1934年に首席に近い成績で卒業すると、ローズ奨学生としてオックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学した。この英国での経験が、後の国際的視野の原点となる。ウォール街に戻った彼は、投資顧問業を始めるが、転機は1939年に訪れた。第二次世界大戦の勃発直後、テンプルトンはブローカーに電話をかけ、ニューヨーク証券取引所とアメリカン証券取引所で1ドル以下の株価で取引されている全銘柄を100ドルずつ買うよう指示した。104社の株式を取得したこの大胆な行動は、戦時の恐怖で市場が極端に悲観的になった瞬間を捉えたものであった。4年後に売却したとき、34社が倒産していたにもかかわらず、全体で約4倍の利益を得たとされる。

このエピソードに凝縮されているのが、テンプルトンの投資哲学の核心である「悲観の極みで買い、楽観の極みで売る」という原則である。彼はこれを単なる逆張りの技術としてではなく、人間心理への深い理解に基づく規律として実践した。群衆が恐怖に支配されるとき、資産の本質的価値は変わらないにもかかわらず価格だけが下落する。その乖離こそが最大の機会であるという信念は、後にハワード・マークスやセス・クラーマンといったバリュー投資家たちにも受け継がれている。

1954年にテンプルトン成長株投信を設立すると、彼は当時ほとんどの米国投資家が見向きもしなかった日本やカナダ、ヨーロッパの市場に資金を振り向けた。1960年代には新興国市場への投資にもいち早く着手している。この国際分散の戦略は、各国の経済サイクルのずれを利用し、常にどこかに割安な市場を見出すことを可能にした。ファンドは設立から38年間で年率15%を超える成長を記録し、設立時に1万ドルを投じた投資家は200万ドル以上を手にした計算になる。1992年にフランクリン・リソーシズにファンド運用会社を売却した際の価格は4億4000万ドルであった。

テンプルトンのもう一つの際立った特徴は、投資活動と慈善活動を不可分のものとして捉えていた点である。1972年にテンプルトン賞を創設し、精神的・霊的な進歩への貢献を顕彰する賞として毎年授与した。賞金額はノーベル賞を上回るよう意図的に設定された。バハマのナッソーに居を移した後は英国籍を取得し、1987年にエリザベス女王からナイトの称号を授与されている。ジョン・テンプルトン財団は科学と宗教の対話を促進する活動に多額の資金を提供し、慈善事業は彼の遺産の中核をなしている。

投資判断においてテンプルトンは徹底したファンダメンタル分析を重視した。一方で、投資における祈りの役割を公言することもためらわなかった。ファンドの取締役会を祈りで始めたという逸話は、合理性と信仰を矛盾なく統合した彼の人物像を象徴している。2008年7月、ナッソーの自宅で肺炎のため95歳で他界した。質素な暮らしぶりで知られ、飛行機はエコノミークラスを愛用し、自ら車を運転して通勤していたと伝えられる。投資によって築いた富を世界の知的・精神的向上のために還元した生涯であった。