心理学者 / humanistic

アブラハム・マズロー
アメリカ合衆国 1908-04-01 ~ 1970-06-08
アメリカの心理学者 (1908-1970)。「欲求階層」と「自己実現」の概念で、精神分析と行動主義に続く第三潮流「人間性心理学」を切り拓いた人物である。1943年論文以来の彼の枠組みは経営学・教育・看護にまで拡散したが、後年は実証性不足や西洋中心主義の批判を受け、本人もモデルの硬直性を否定し続けた、生涯にわたる「健康な人間」研究の探究者。
この人から学べること
マズローの欲求階層は、本人の意図に反して「下から順に満たさねば次へ進めない」固定モデルとして単純化され普及してしまった経緯がある。現代の応用ではまず原典に立ち返り「複数欲求は同時並行で働く」という流動性の前提を取り戻すべきだ。給料 (生理・安全) が低くても所属感や承認、自己実現的経験を職場で得ている人は珍しくない。マネジャーが「まず基本給を上げてから次に承認制度を」と段階思考に陥ると、退職リスクの兆候を見逃す。第二に「マズローの金槌」の警句は、KPI・スプレッドシート一辺倒の現代意思決定者にとっての強力な抗体となる。第三に自己実現を「個人の天職」と矮小化せず、彼自身が晩年に至高経験・B価値・トランスパーソナルへと拡張した経緯を踏まえ、組織が「個を超えた目的 (purpose)」を提供できるかを問う指針として使うのが筋である。
心に響く言葉
人がなりうるものに、その人はならねばならない。この欲求を私たちは自己実現と呼ぶことができる。
What a man can be, he must be. This need we may call self-actualization.
持っている道具が金槌だけなら、すべてが釘のように見えてくる。
If the only tool you have is a hammer, it is tempting to treat everything as if it were a nail.
フロイトは心理学の病んだ半分を提供してくれた。残る健康な半分を我々が埋めなければならない。
It is as if Freud supplied us the sick half of psychology and we must now fill it out with the healthy half.
音楽家は音楽を作らねばならず、画家は描かねばならず、詩人は書かねばならない。最終的に自分自身と平和に在るためには。
A musician must make music, an artist must paint, a poet must write, if he is to be ultimately at peace with himself.
人は安全に戻るか、成長へ進むかを選ぶことができる。成長は何度も何度も選び直されねばならず、恐れは何度も何度も克服されねばならない。
One can choose to go back toward safety or forward toward growth. Growth must be chosen again and again; fear must be overcome again and again.
生涯と功績
アブラハム・ハロルド・マズローは1908年4月1日、ニューヨーク・ブルックリンに生まれた。両親はキエフ (現キーウ) からツァーリ統治の迫害を逃れて移住してきたユダヤ系移民で、貧しい多民族労働者街で彼は7人兄妹の長男として育った。母親との関係は生涯にわたり険悪で、後年の回想で彼は母の自己中心性・他者への愛情欠如・狭量さを激しく断罪している。反ユダヤ主義のギャングに石を投げられる体験を重ねつつ、彼は図書館と本の世界へ逃げ込み、そこで読書と学問への愛を育てた。
シティカレッジで法律を学ぼうとして挫折し、ウィスコンシン大学で心理学に転じる。1928年に従姉ベルタと結婚。同大学の訓練は厳密に実験的・行動主義的で、霊長類の優位行動と性をテーマに研究した。彼の修士論文は「言語材料の学習・保持・再生」という主題で、本人はそれを恥じて図書館から論文を引き上げ目録カードを破り捨てたと伝わる。1934年に博士号取得後、コロンビア大学でアルフレッド・アドラーに出会い、続いてブルックリン大学に長く籍を置く中で、人類学者ルース・ベネディクトとゲシュタルト心理学者マックス・ヴェルトハイマーという二人の傑出した個人と日常的に触れ合った経験が、後に「自己実現する人々」を観察対象とする研究の原型となった。
マズローの代名詞である欲求階層は、1943年に『Psychological Review』に発表した論文「人間動機づけの理論」が出発点である。生理的欲求・安全・所属と愛・承認・自己実現という配列は、後に「ピラミッド図」として爆発的に普及するが、興味深いことに彼自身は著作で一度もピラミッド図を提示していない。図解は心理学教科書出版社が後付けで案出した可視化装置とされる。さらに彼は最初期の1943年論文から「この階層は固定された硬い順序ではない」と断り続けており、後年の批判者が指摘する硬直性は、原典に立ち返れば本人の意図ではなかった。1954年の主著『動機づけと人格』、1962年の『存在の心理学』、1971年遺稿の『人間性の最も遠い境地』へと続く著作群で、彼は欲求の上に「至高経験」「B価値 (存在価値)」「メタ動機」など、より高次の心的次元を加え続けていった。
第三潮流としての人間性心理学が打ち出した姿勢は、精神病理に偏向した精神分析と動物実験に偏向した行動主義の双方への異議申し立てだった。彼の言葉を借りれば「フロイトは心理学の病んだ半分を提供してくれた。残る健康な半分を我々が埋めなければならない」となる。1962年にヒューマニスティック心理学会を共同設立、1967-68年にはアメリカ心理学会会長を務め、1969年にはスタニスラフ・グロフ、ヴィクトール・フランクルらとトランスパーソナル心理学を「第四潮流」として旗揚げした。一方、彼の理論は西洋中心の個人主義バイアスを含むと文化心理学者から批判され、自己実現者の事例選定 (リンカーン、ジェファソン、アインシュタイン、エレノア・ルーズベルト等) は研究者本人の価値観を反映した選択バイアスとも指摘された。1970年6月8日、彼はカリフォルニア州メンロパークでジョギング中に重篤な心臓発作に襲われ、世を去った。62歳。倫理学を伴う完成された人間性心理学体系の構築という彼の晩年の野望は、ついに未完のままに残されたが、その思想的種子はカール・ロジャーズ、チクセントミハイ、セリグマンらに受け継がれて今日もなお発芽し続けている。
専門家としての評価
20世紀心理学を代表する三潮流 (精神分析・行動主義・人間性) のうち、第三潮流の旗手として位置づけられる。フロイトの病理志向、スキナーの動物実験志向に対して、「健康な人間が何を求めるか」を中心問題に据えた点で独自である。学術的厳密性ではアメリカ実証主義派からの批判を浴び続け、「もはやアカデミック心理学では真剣に取り上げられない」とまで評されることもあるが、経営学・看護学・教育・自己啓発分野での影響力は今もなお絶大であり、彼の功罪は学問内外で評価軸が異なる希有な例である。